地下生活者のしゅき♡

カタスミ・シアター・ラボラトリー part.1
『地下生活者のしゅき♡』

原作=ドストエフスキー(『地下室の手記』より)
脚本・演出=大瀬戸正宗(片隅企画/サラダボール)

2025年3月30日
東温アートヴィレッジセンター シアターNEST

出演

木村波音(東温市地域おこし協力隊) 堀慎太郎 野口聡璃 尾﨑海斗(片隅企画)

スタッフ

照明|中村友惟(東温市地域おこし協力隊/び〜はいぶ)
音響|福島優菜 (片隅企画/アルヒツト)
映像・舞台美術製作|中村智和(なむペン)
舞台美術・宣伝美術・映像オペレーション|大瀬戸正宗
当日運営|東海林葉子
制作|片隅企画

[主催]大瀬戸正宗(東温市地域おこし協力隊)
[共催]東温アートヴィレッジセンター
[企画制作]片隅企画
[協力]サラダボール

作品概要

心にじめっとした地下室を、暗ーい地下室をかかえた自分のことがだーいしゅき♥
人一倍強い自尊心が、わたしを地下に籠らせた。

「わたし」40歳。地下生活者。遺産が転がり込んだのを機に役人を辞め、引きこもったわたしは誰に宛てるでもない手記を黙々とかきつづけている。わたしは何者にもなれなかった。なぜなら頭が良すぎるからだ!
行動することは意味のないことだとわかっているから、19世紀の人間は概して臆病であるべきなんだ!
…わたしの自尊心が人一倍強いこともわかっている。だから病んで片隅に閉じこもっているんだよ。
ほんとは善良な正直者に、手のつけられないろくでなしに、虫けらに、英雄になりたかった。
だけど、わたしは何者でもない、そんなわたしが何を尊敬できる? 何を軽蔑できる? 何を愛せる?
わたしは、あなた? あなたは、わたし?

当日パンフレットコメント(大瀬戸)

片隅企画という小さなカンパニーで演劇を細々とやっております、大瀬戸正宗と申します。
私の移住をきっかけに活動拠点を東温市に移し、片隅企画としては初の東温公演となります。
このような素晴らしい環境で創作と上演をすることができ、嬉しい限りです。
この公演は片隅企画初の実験公演ということで、普段挑戦する勇気のでない作品を、普段やらない演出でやりたいと思いはじめました。チラシを作った段階では、もっとポップで軽めな作品になる予定だったのですが、ドストエフスキーの言葉と向き合ううちに、じめっと陰鬱なテイストになりました。時間のない中の幾度もの方向転換についてきてくれた座組の皆さんには感謝しかありません。
前置きが長くなってしまいましたが、今回は19世紀ロシアを代表する文豪フョードル・ドストエフスキーの傑作小説『地下室の手記』を演劇作品にリライトし、上演します。地下室に引きこもった男が、黙々と手記を書き続けるというだけの話なのですが、そこには自意識が巨大になりすぎた男が世間に馴染むことができず、それを打破しようと自らはじめたことを自ら否定し、自らを苛むという、地獄のループが淡々と書かれています。作中、男は幾度となく「ありえねー」突発的行動を起こします。これが笑えるんです。
哲学者のニーチェは、自分の不満・欠点を直視せず他者や外部の状況を責める心情を「ルサンチマン」と言いました。
作中の男は、ルサンチマンによって自分を弱い存在に位置付け、強者である他人や世間を責めます。しかし、「何者にもなることができなかった」男は、最終的には自分を弱者であるとさえ認められなかったのかもしれません。
SNSなどのインターネット空間では不特定多数に向けて自由に他人への怒りや憎しみ・愛情などの感情が発せられています。ですが生身の身近な人間を相手にすると、その感情を向ける、あるいは受け取ることがますます難しくなっているように思います。これはまさに地下室で手記を淡々と書き続ける男の姿と重なります。作中で男がとる、一見すると「ありえねー」と思うような行動も、実はわたしたちの誰もが自己実現欲求と他者からの承認欲求との揺らぎの中で持っているものなのかもしれません。
ナチス・ドイツの強制収容所での体験を記したフランクルによる『夜と霧』では、「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの【苦悩】に値しない人間になることだ」という言葉が引用されています。わたしたちはどのようにして他者と、社会と、自分と向き合っていけばいいのでしょうか。
だらだらといろんなことを書いてしまいましたが、様々な読解がある中、私はこの作品をコメディだと思っています。
笑えないかもしれませんが、「ありえねー」と思いながら楽しんでいただければ幸いです。
本日はご来場いただき誠にありがとうございます。
演出 大瀬戸正宗

公演概要はこちら≫

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